大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)343号 判決 1964年2月10日
被告被控訴人 第三相互銀行
理由
被控訴銀行が訴外大都建設株式会社に対し、かねて貸付金債権を有していたこと、右担保として昭和二八年四月一四日訴外会社所有の大阪市浪速区稲荷町二丁目六五番地宅地三一〇坪及び同地上の建物二筆について、被控訴銀行を権利者とする抵当権を設定させたこと、訴外山下行雄がその当時被控訴銀行の阿倍野橋支店長であつたことは当事者間に争いがない。
証拠を総合すると次の事実が認められる。
控訴人は昭和二六年頃被控訴銀行の阿倍野橋支店に外務行員として雇われ、訴外山下行雄支店長のもとで、貸付けの調査や整理の事務に従事し、昭和二七年頃被控訴銀行の大阪支店の開設とともに、大阪支店に転属して同様の仕事に従事し、昭和三一年被控訴銀行を退職したものである。阿倍野橋支店には他に整理係がいたが、控訴人はその手腕を買われ、大阪支店勤務となつたのちも、阿倍野橋支店から頼まれて、一〇件ばかり同支店の貸付債権の整理事務を引き受けて解決した。それは大体金額五〇万円から一〇〇万円までの債権についてであつて、解決の都度控訴人は訴外山下の計いで、整理に要した実費と小遣いなどを、阿倍野支店の会計から受け取つてきた。これについて格別問題を生じたことはなかつた。ところで被控訴銀行の支店長の単独貸付権限は金額一五万円までで、それを超えるときは本店の許可を要することになつていたが、山下支店長は、かねて訴外大都建設株式会社に対し、本店の許可を受けずに、右貸付限度を超えて手形貸付により、無担保で金員を貸し付け、昭和二八年四月初頃その金額は二五〇万円に達していた。そのころ同会社は破産状態に陥入り他の債権者が騒ぎ出したため、山下はその貸付金の回収にあせつたが、うまくゆかず、その処理は非常に困難の伴うことが予想された。困惑の揚句、山下支店長は、特に控訴人に右債権の整理解決方を依頼することにし、同月上旬同支店の応接室で、事実上の同支店次長藤田重蔵及び右貸付けを担当した行員山崎仲右衛門の立会いの下に控訴人に大都建設株式会社に対する貸付金を取り立てもしくは回収できるようにしてくれ、と委託し、成功すれば特別に報酬金一五万円を出す旨申し向けた。控訴人はこれを承諾して引き受けた。それから約一週間控訴人は右委任契約の趣旨に沿つて、専心訴外会社側と折衝を重ね、その努力の結果貸付金に対する十分な担保として、控訴人主張の訴外会社所有の不動産に抵当権を設定させる契約を結ぶことに成功した。ただしすでに附いていた一番抵当権の解消に要する費用金四〇万円は被控訴銀行で持つほかに、あらたに金一〇〇万円を訴外会社にその更生資金として融通するという負担付であつたが、右負担は、訴外山下も受け入れることを諒解した。こうして、同月一四日被控訴銀行を権利者とする順位一番の根抵当権設定登記を経由し、その後右抵当不動産は全部で三〇〇万円に換価処分され、被控訴銀行は昭和三一年三月現在における元利合計三〇〇余万円の債権額のうち六〇万円を減額し残額については二回にその弁済を受けた。一方控訴人は前記抵当権設定登記手続終了後度々山下支店長に約束の報酬金の支払いを求めていたが、同支店長は約を果たさないで昭和二八年七月他に転勤してしまい、大阪支店の顧問の滝島弁護士は、当初から右委任報酬契約のことを控訴人から聞いて控訴人を激励し、報酬も出せるように取り計う口振りであつたが、最後には、六〇万円債権を減額したのでお前にやる分がなくなつたとて、取り合わなくなつた。以上の事実が認められる。右認定に反する原審での証人山下行雄の証言は信用しない。
右認定の被控訴銀行の阿倍野橋支店長訴外山下行雄が控訴人との間に約した、被控訴銀行の訴外大都建設株式会社に対する貸付債権の整理回収方を委任する契約ならびにこれに関する報酬契約は、その成立のいきさつと事情からすると、訴外山下が被控訴銀行を代理して行なつたものであり、控訴人は委任の本旨に従つて委任事務を処理し昭和二八年四月十四日までにこれを履行したものと認めるのが相当である。
被控訴銀行は、訴外山下は被控訴銀行を代理して右契約を締結する権限を有しなかつたから、右は訴外山下の個人としての契約であると主張する。なるほど、被控訴銀行が特に右のごとき契約を締結する代理権を与えたとの証拠はないし、訴外山下が被控訴銀行の支配人であつたとの証拠もない。しかし、訴外山下は被控訴銀行の阿倍野橋支店長であり、支店長は、表見支配人として被控訴銀行に代つてその支店の業務に関する一切の裁判外の行為をなす権限を有するものとみなされる(商法第四二条第三八条)のであるから、この点に関する控訴人の主張は正当であり、被控訴銀行の主張は採用できない。そして訴外山下に本件契約を締結する権限がないことを、控訴人が知つていたと認むべき証拠は本件にはない。かえつて、一般に銀行の支店長はその支店に属する貸付債権の整理回収取立てをみずから行なうか部下行員をして行なわせるか、第三者に依頼して行なうか、あるいは訴訟その他の手段に訴える途を取るかは、第一次的には、当該支店長の判断と裁量に委ねられている事項というべきところ、前記認定のとおり、控訴人は従前から何回も訴外山下から依頼されて同様の事務を処理し、その費用なども阿倍野橋支店の会計から支払われ、かつて問題を生じたことがなかつたこと、支店長単独の貸付金の限度額は一五万円であり、本件報酬額も一五万円であつたこと、大都建設株式会社は当時破産状態にあつて、これに対する貸付債権処理には特に困難が予想されたこと、控訴人は被控訴銀行の大阪支店の顧問弁護士にも右契約締結のことを告げたことなどの一連の事実に徴すると、控訴人は訴外山下に権限があると全く善意で信じていたと認めるのが相当である。
被控訴銀行は、商法第四二条第一項但書によれば、裁判上の行為は表見支配人の権限に属せず、したがつて訴訟に付随する報酬契約に関する権限も有しないと主張するが、同条にいう裁判上の行為とは訴訟行為を指称するものであるところ、本件締結された契約は、債務者と折衝して債権取立回収をはかる事項の委任という私法上の行為であるから、右主張はあたらない。
さらに、被控訴銀行は、控訴人は当時被控訴銀行の大阪支店外務行員であつたが被控訴銀行の就業規則によると従業員は会社の許可なくして他の職に従事してはならない旨定められていた、被控訴銀行の代表者はもちろん、大阪支店長も、控訴人が阿倍野橋支店の業務に関与することについて許可を与えた事実がない、したがつて規則に違背しているから、本件契約は控訴人と被控訴銀行との間に成立しない旨抗弁するので考えてみる。控訴人が当時被控訴銀行の大阪支店の外務行員であつたことは、前に認定したとおりであり、成立に争いのない乙第一号証の一二によれば被控訴銀行の就業規則には従業員は会社の許可なくして他の職に従事してはならない旨が定められていることが認められる。そして控訴人が大阪支店勤務をはなれて、阿倍野橋支店の事務に従事することは、それがともに被控訴銀行の事務であり、事務内容が同種のものであつても、所属支店を異にする以上、右就業規則にいう他の職に従業することにあたるというべきところ、これについては被控訴銀行もしくは所属大阪支店長の許可があつたと認むべき証拠は本件には存しない。しかしながら、被控訴銀行の従業員がその就業規則に違反する行為をしたからといつて、そのことは、直ちにその行為を不成立もしくは無効ならしめるものではないと解するのが相当である。けだし右就業規則は従業員に対し忠実勤務義務を課しそれを確保せんがための規則にすぎないのであつて、違反者がそのゆえに懲戒その他の不利益を受けることがあるのは格別、行為の成否、効力の有無はこれとは次元を異にする別個の問題であるからである。これと異なる被控訴人の見解には従いえない。
はたしてそうだとすれば、被控訴銀行は控訴人に対し、金一五万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和三二年一〇月七日から右支払いずみまで年五分の遅延損害金を支払う義務があるから、控訴人の本訴請求は正当として認容すべきである。これと異なる原判決は取消しを免れない。